マレットゴルフの歴史
人間が初めて使用した道具は、こん棒と石の2つであったといわれています。
これが、こん棒と基本的にほとんど変わらない用具を用いるステッィク系打球戯の歴史の始まりかと思われます。
現代のスポーツである野球・ゴルフ・ホッケー・ゲートボール・テニス・卓球もまた、これらの共通した思いから、発祥し分化してきたものと思われます。

さて、マレットゴルフは長野県体育センターで1981年に開発、翌1982年に公表され、市町村関係者に講習会を実施する等普及に努めました。ゲートボールの道具を使って、ゴルフのように穴の中にコロコロと転がしこんでみたらどうだろうか?
手近な場所で、経費をかけずにゴルフのようにスカッとした爽やかさを味わえないだろうか?という創意から考案されたということです。

その後1986年にゲートボールの道具でミニゴルフをしたのが発祥と福井県(福井運動公園)から声があがったようです。
県体育センターでは「どちらでもよいのではないか?」との反応だったようです。やっている人たちがおおらかに楽しめれば良いのではないかということで、そろぞれの県で同じような発想を同じような時期に考えたのではないかと思われます。

そんな中、しが先代社長がこの面白さにはまり、大きな体で思い切り打つ所作の中で木槌ということで割れたり、破片が飛んだりという体験を何度かし、危険性を慮り、自社にある鉄でシャフトを作成しました。それから裏山でグリップを作り楽しむうちに次々と注文が殺到するようになりました。
そして、沢山の人のアドバイスをいただきながら試行錯誤を繰り返して、現在のアルミシャフトも落ち着きました。

当時はアルミはダメ、24cm以下はダメ等用具についても厳しいルールがありました。ダメならば自分達が作った自分達の大会をつくろう!そんな声が上がり「マレットゴルフ友の会」は結成されました。
もちろん、それまでには色々な機関への・働きかけ等紆余曲折がありましたが、初代・田島架裟男会長の基、現在4代目・武内安三郎会長まで、実に167回、21年にわたり、このポリシーを曲げる事無く続けて参りました。(安全・友和・おおらかさ・かっこよさ)

その間松本市で開かれた、県民運動会に採用されたり、各市町村も「生涯スポーツに最適」と受け止め、積極的にコース作りを進め、瞬く間に全県に、さらには県外にも普及していきました。地方発のスポーツがわずか20数年で生涯スポーツのメジャーに発展したのは珍しい例だということです。

そして幸なるかな、友の会の主張は現在、マレットゴルフ界に受け継がれています。
今では県内200を超えるコースと数万人の愛好者が集い、県外でも25都道府県で楽しまれているということです。

【参考文献】
「マレットゴルフについて」県体育センター発行
「マレット発祥と現状」信濃毎日新聞
「マレットゴルフ」インターネット